チェンマイの旅 2日目

ェンマイの旅 2日目

SAKURA HOUSE。旧市街の静かな住宅街に溶け込むようにたたづむこの宿は、私の旅の拠点となった。部屋は簡素だが快適で、ツインベッドが並ぶ。その一方で、トイレとシャワーは共有だ。湯船のないシャワールームに一抹の物足りなさを覚えながらも、フレンドリーな従業員がそれを補って余りある。些細なことでも世話を焼いてくれる彼らの笑顔に、旅人の心は軽くなる。

 

朝の始まり

2日目の朝、私はまず宿の外へ出た。数分歩いた先にある公園では、早朝からYOGAに励む人々がいる。彼らの静かな動きに目を奪われながら、公園内をぶらぶらと歩く。周囲にはランニングや、ウォーキングをする西洋人たちが多く、異国情緒が漂う。

部屋に戻ると、東京から到着する予定の友人からLINEが入った。チェンマイ空港に着いたとのこと。すぐにタクシーで宿まで来るように指示を出す。しばらくして友人が到着。再会の喜びもそこそこに、我々は早速街へと繰り出した。

 

旧市街の散策

チェンマイの旧市街は、南北2キロ、東西2キロの小さなエリアだ。その狭い路地には歴史が詰まっている。私は昨日の経験を活かし、友人を案内しながら街を歩いた。ターペー門を潜り、さらに東へ進む。ふと視線を向けた先にあったのは、ムエタイのジム。中を覗き込むと、トレーニングに参加できるという。

「やってみるか?」

迷いを振り切り、私たちは90分のグループレッスンに参加することにした。ムエタイはタイの国技であり、その起源は古代の戦闘技術にさかのぼる。武器を持たず、身体を最大限に活用して戦うこの格闘技は、パンチ、キック、ヒジ打ち、ヒザ蹴りを組み合わせた独自のスタイルが特徴だ。トレーニングでは、まず基本的な動きやフォームを教わり、その後は激しいフィジカルトレーニングが続いた。

欧米人の若者たちは筋骨隆々で、軽快に動き回る。それに比べて私と友人の身体はどこか頼りなかった。なにより、私は歳をとっている。30分も経たないうちに、私は息が上がり脱落。友人もまた、最後まで踏ん張ろうとしたものの、45分を過ぎた頃に顔を真っ赤にしながら私の隣に座り込んだ。

「キツいですね…」

彼は苦笑いを浮かべながら、水を飲んで肩で息をしていた。それでも他の練習生たちは淡々とこなし、さらにトレーナーとのスパーリングやリングでのミット打ちまで進む。私たちは片隅でその光景を眺めながら、若さと体力の差を痛感していた。

 

ナイトマーケットとムエタイ観戦

ジムを出る際、スタッフからその夜の公式戦の話を聞いた。フランス人の女性選手が試合に出場するという。興味を惹かれた私たちはチケットを購入し、夜を待った。

チャイナタウンの雑踏を楽しみ、タイマッサージで疲れを癒やした後、試合会場へ向かう。観客で溢れかえる中、前から2列目の指定席に座る。試合前の選手たちが祈りを捧げる儀式の動きには、ムエタイが単なる格闘技以上の存在であることを感じさせた。

ムエタイの試合は、単なる肉体のぶつかり合いではない。選手たちが試合前に行うワイクルーという儀式には、師匠や家族への感謝の気持ちが込められている。その独特の動きと音楽は、観る者を一瞬でタイの文化に引き込む。

試合そのものは激しく、スピードとパワーがぶつかり合う。フランス人選手の動きはしなやかで力強く、タイの選手との一進一退の攻防は見応えがあった。リングの周囲では観客が声援を送り、熱気は最高潮に達していた。

 

夜のチェンマイ

チェンマイの夜は安全で、どこか洗練された雰囲気がある。地元の屋台で40バーツ(約160円)の料理を味わったり、オシャレなカフェでコーヒーを楽しんだり。そのどれもが、この街の魅力を形作っている。

街を歩く旅人たちは皆スマートフォンを片手にしている。地図を広げる姿はもはや見られない。画面上に示されたルートを目で追い、時折道に迷ったように立ち止まる。それは私も同じだ。古びた紙の地図に描かれた細かな路地を指で辿る感覚は、どこか遠い過去のものになった。

旅の風景を見るよりも、スマホの画面を見つめる時間の方が長い。自分がどこにいるのかを把握するために地図を読むのではなく、画面に示された点と線の指示に従って動く。いつしか私たちは、自らの感覚ではなく、デジタルのナビゲーションに旅の全てを委ねているのだ。

そんな新しい旅の姿にとまどいつつ、私たちの旅は続く。この小さな街の中で、どれだけの物語に出会えるのか。それは私自身にも分からない。ただ一つ確かなのは、旅は常に新しい流れを生み出していくということだ。